適応障害の元いじめられっ子がブログを使って社会不適合を脱するブログ

精神障害の自分が感じたことを、言の葉に乗せてつづります。

障害者と呼ばれる人について書きました。

うたです。
 
昨日僕の友達と話したことを書きます。
 
 
何について話したかというと
“障害者”とよばれる方々について
 
 
僕は障害者という言葉が
あまり好きではないんです。
 
 
なんか、障害者というと
駅で大きな声を出している人をみて
バカにしていた僕の高校時代の
同級生を思いだす。
 
 
本当に嫌な気持ちになります。
 
 
じぶんとの違いを受け入れて
あげることができず攻撃してしまう人たち。
 
 
 
 
ぁ、今日はそういう話をしたいのではなくて
むしろ下手すると、あなた自身も
人を冷たく笑ったり、
馬鹿にしたりしている人と
同じになってしまう危険があるということを伝えたいんです。
 
 
人はみんなじぶんがただしいと思って生きているから
他人を認めるってむずかしいんですが
 
 
今回は
他人を認めるということの
本当の意味について考えたいんです。
 
 
人というのは、それぞれが違う。
それはお互いを認める必要が
あるということ。
 
 
 
ここで、勘違いが起こりやすいのですが
僕らも他人を
認めないといけない。
ということ。
 
 
例えば、順番待ちをしていて
割り込みをする人、頭に来ますよね。
 
 
でもここで、あなたが
「あいつら頭おかしいんだ」
と思ってしまっては、障害者と
呼ばれる人たちを笑い疎む人たちと
変わんないですよね。笑
 
 
自分の常識にあわないひとを
すぐに軽蔑するのはよくない。
 
 
よく話を
聞いてみる必要はある。
 
 
障害者と呼ばれる人をバカにする
同級生達も彼らなりの
考えがあることは間違いない。
 
 
それは認められない考えかもしれないけど
何を考えているのか
は聞く必要がある。
 
 
 
彼らが誰かを軽蔑したり
いじめたりしてしまうのにも
何か原因があるもの。
 
 
それは過去のトラウマだったり
生まれ育った環境だったりするんですが
それを聞かない限り、
本当の意味で分かり合うことは出来ない。
 
 
「この人たちは私とは違う、
でもその人なりの悲しみや
怒りを抱えているんだな」
 
 
と考える心の余裕が持てるといいですね。^ ^
 
 
クラスでばか騒ぎするひと、
他人を簡単に傷つけるひと、
いきものを大切にしないひと、
 
 
あなたは好きにはなれないかもしれません。
でもこの世界、その人たちと全くかかわらずに生きるということは
できないのがむずかしいところです。
 
 
ただ、その人たちが何を
考えているかを知り
認めることで、うまく生きていくことができます。
 
 
他人を認めるというのは、
じぶんの常識のなかだけでなく
本当の意味で認めないといけないんですね〜
 
 
 
 
 
以上です。思ったことを書きました。
読んでくださりありがとうございます。
 
ゆっくり休んでください。
ゆうた