適応障害の元いじめられっ子がブログを使って社会不適合を脱するブログ

精神障害の自分が感じたことを、言の葉に乗せてつづります。

自殺する人がいてもしょうがないと思う。9月が自殺多いので命ってものについて書いてみた。

うちゃんです。

 

今日は昨日したアンケートを見て

ずっと言いたかったことを書こうと思います。

 

↓このアンケートね。

(このブログを

書いてるときはアンケート集計途中)

 

 

このアンケートゆうちゃんが

中学2年の時に自殺を考えるくらい

病んで考えたものなんですが笑

 

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これはゆうちゃんなりの

生きてる理由って何だろう

って質問なんですよ。

 

9月1日は一年で一番自殺が多い日なんだって。

 やっぱり新学期が始まる憂鬱

耐えられないんでしょうか。

 

 

ゆうちゃんはね、この記事を通して

「自殺なんてだめ!」「かなしい!」

って喚いてる大人に対して警鐘を鳴らしたい。

 

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そうやってホントの問題を考えないで

頭ごなしに叫んだり泣いたりしてるだけでは

自殺は減らないと思うので。

 

 

一つ一つさっきのアンケートの

選択肢を見ていきましょうか。

 

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まず、30歳になって

身体が老いてきたら死にたい

っていう人は、 自分の身体が衰え始めるのが

耐えられないって人だと思う。

 

スポーツマンだったり、

ゲーマーだったりする人は

こういう人が多いかもしれないですねー

モデルとかもそんな感じですね。

 

スポーツの成長って

20歳の後半からは下り坂だしゲームに

必要な反射神経だったりは20歳がピークなんだとか。

 

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それが衰えたら生きがいを

失っちゃうって人もいる。

 

自分の成長とかスキルを

高めるってのが生きがいなら

もしかしたら30歳で死にたいって思うかもしれない。

 

 

ちなみにゆうちゃんの生きがいは

自分がどれだけ幸せになれるかってことで

そのために人をどれだけ愛せるかってこと。

 

あとは自分のやりたいことを

どれだけできるかってことが大事。

 

だから、ゆうちゃんは

30代で死のうとは思わない。

 

 

ただね、30代で死にたいって人がいても

全然不思議じゃないと思うの。

 

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いのちを無駄にするんじゃない

って言われるかもしれないけど

 

死にたいって思いながら、

毎日やる気もなく仕事に向かって

 

だらだら日々を過ごして、

心臓だけ動いてるって状態だったら

これって生きてるといえるのかな?

 

 

つまらない日常を埋めようとして

お酒を飲んで退屈を紛らわしたり、

愚痴を垂れ流し続ける毎日と

 

自分がやりたいことに全力でぶつかって

いのちを燃やし尽くして、花火みたいに終わる人生。

 

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どっちが

"生きてる"っていうのかな?

自殺ダメ!って頭ごなしにいう人は

ここまで考えてないと思う。

 

(というより死にたいって思わないくらい

そこそこ人生が楽しいんだろうね。笑)

 

 

 に、60歳くらいになったら

死んでしまいたいって人もいると思う。

(ゆうちゃんもこのグループ)

 

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ゆうちゃんは基本的に自分勝手に

気ままに生きているんだけど一つだけ

自分が絶対に守ると決めているルールがある。

 

それは他人の人生に

迷惑をかけないこと。

 

 

おじいちゃんになって

ボケたりするようになったら。

 

娘の顔がわからなくなったり

 

自分でトイレに行けなくなって 

おむつを履かなければいけなくなったりする。

 

自分で風呂に入れなくなることもある。

 

 

ちょっと昔話をしますとね、

ゆうちゃんの父方のおじいちゃんは

認知症っていう病気でした。

 

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亡くなる直前まで

ゆうちゃんのことは覚えていたけれど

弟の顔と名前を完全に忘れてしまっていた。

 

弟は「自分は愛されてなかったのか」

って傷ついてた。

 

 

その時、ゆうちゃんは

目の前にいる人はおじいちゃんじゃない。

って思ってしまったんですよねー

 

もし自分がこんな風になってしまったら

果たしてそれは生きているといえるんだろうか。

 

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そう思ってしまった。

 

 

もちろんゆうちゃんも、家族の立場からしたら

おじいちゃんに生きていてほしかったですよ。

 

ただね、そのときおじいちゃんは

酸素ボンベを付けているのに煙草を吸うし

(引火して火事になる危険がある。)

 

病院を抜け出して父親がそのたびに

迎えに行かないといけなかった。

 

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そのあと、おじいちゃんは

結局施設に預けることになり、

その世話を誰が見るかで親戚でケンカになった。

 

(ゆうちゃんの両親もそれがまぁきっかけで

仲が悪くなって今、調停離婚することになってる。)

 

 

そうこうしているうちに

おじいちゃんは亡くなっちゃった。

 

ゆうちゃんが思うのは、

認知症になってからのおじいちゃんは

果たしておじいちゃんだったのか?ってこと。

 

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きっと自分の生きる理由について

考えることもできなかったと思う。

認知症っていうのはそういう病。

 

 

母親とかはおじいちゃんが

長生きするようにいろいろしてたよ。

 

でもゆうちゃんにはおじいちゃんが

それで喜んでいると思えなかったの。

 

 

おじいちゃんは初孫のゆうちゃんを

すごくかわいがってくれたし、

ゆうちゃんもおじいちゃんが大好きだった。

 

一緒にお散歩したし、竹とんぼも作った。

お気に入りの小刀を使っていろんなものを

作る器用なおじいちゃんだった。

 

無口な人だったけど、

すごく愛してくれてた。

 

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普段は大しておじいちゃんに

関わってもいなかった親戚の人が

おじいちゃんを邪魔者扱いしてるのがつらかった。

 

揉めに揉めて命のなすり付け合い

するのを見るのは本当に嫌だった。

 

おじいちゃんの命の期限を決めているのが

ゆうちゃんには耐えられなかったの。

 

 

その時からずっと思っていることは

もしゆうちゃんが同じ立場になったら、

 

愛する妻や、孫を忘れてしまったら、

無気力になって大好きな趣味も

できなくなってしまったら、

 

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静かにこの人生を

終わらせてほしいってこと。

 

ゆうちゃんはゆうちゃんのまま死にたい。

 

 

 そしてね今すぐ、死にたい

という人も当然いると思う

 

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その人はたぶん、いま

生きる理由がないという人だと思う。

悲しいことだけれど。

 

 

むしろつらいことがたくさんで「死にたいなぁ」

って思ってる人なんじゃないかな。

 

そりゃあ、そうだなぁって思いますよ。

世の中は理不尽ですから。

 

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「しにたいなぁ」って思って

実行に移しちゃう人もいます。

 

ゆうちゃんも死のうとしたことあります。

全く同じ経験はないけれど

すこしなら気持ちはわかると思う。

 

 

 

頭でも言ったけど9月1日は一年で

一番自殺が多い日なんだって。

 

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自殺はもちろん悲しいことだけれど

それに対して「自殺はよくないことだ」

 

って叫んでるだけの大人はそろそろ

ホントの問題に気づいたほうがいい。

 

テレビの自殺ニュースをみて、

 

「学校が悪い!」とか

「最低教師!死ね!」とか言ってる大人

 

「かわいそう」とか

「なにも死ぬことないのに」って安っちい涙を流す大人

 

自分たちが、自殺に子供を追い込む

雰囲気の一端を作っていることに

気づいたほうがいい。

 

 

ゆうちゃんが思うに、今の日本には

「~でなければならない」が多すぎる。

 

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学校に行かなければならない。

もちろん休んではならない。

中退、休学したら不良品のレッテル。

それでも就職しなければならない。

 

 

学校に行け!働け!生きろ!

 

という割に

今の社会には生きる理由を

考える時間が少なすぎる。

  

自殺がだめっていうよりも

そもそも何で生きてるんだっけ?

って考える時間が必要。

 

 

いったん休んで

考えたっていいじゃないですか。

 

冷静に考えれば、

学校なんて休んだって死にゃあしない。

 

1年や2年人との関りから離れて

自分が生きてる意味を考える時間が

あったって全然いいじゃないですか。

 

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不登校になったからって、変な噂をして

不良品扱いしたりする大人たちとか

 

精神を病んだ子にまともな仕事の道をあげない

クソ日本が問題を作ってる。

 

 

もっと、不登校とか精神を病んだ人が

自分の生きる理由を見直す時間

がないと、そういう雰囲気づくりをしないと

問題は解決しないと思うんです。

 

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こんなんじゃ、

一度つまずいた子には逃げ場がない。

 

こんな世の中じゃ死にたいと思う子が

いたってしょうがないと思うよ。

 

 

 

自殺ダメ!かなしい!

みたいに叫ぶだけじゃなくて

もっと優しい雰囲気づくりをしてほしい。

 

こころを病んでしまった人が

一度休んで命について考える時間が必要。

 

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そういう時間を認めてくれる人が少しでも

増えればなと思ってこの記事を書きました。

 

 

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最後まで読んでくれてありがとうございました。

長かったけど僕の本当に願っていることです。

 

 

今日もゆっくり休んでくださいね。^^

ゆうた