考えすぎってアドバイスじゃないよな
ゆうちゃんです。
昨日、カウンセラーの先生と話してきました。
普段、人の話を聞くのが仕事なんだけど
まさか自分が精神科やカウンセリングを
受けることになるとは笑
カウンセラーの先生と話していて
一つ分かったことがあります。
ゆうちゃんは人と話しているとき
人よりもたくさんのことを
考えているということ。
「考え過ぎ」って言われたよ。
人間関係について考えすぎだ、と。
それは人間というものについて
考えていることが多いんだけど
例えば、自分が幸せになる影で
苦しんでいる人がいること。
自分が安全に生きるために人を
傷つけてしまうことがあること。
人を見た目で判断したくないと思いつつ
見た目で判断する自分に嫌気がさすこと。
あげればきりがないけれど
こんな風にごちゃごちゃと考えて
いるから疲れてしまう、と。
それはわかるのだけど
「考えすぎ」というアドバイスって
すごく無責任だと思うな。笑
『考えない幸せ』は
ゆうちゃんが得たかったものじゃない。
ちょっと昔話をしますとね、
ゆうちゃんがいじめられていた時のはなしだけど
たくさんのひどい言葉で傷ついた。
その場のみんなを楽しませるために
ゆうちゃんに浴びせられるつらい言葉たち
「しんじゃえよ」って
クラスのみんなは笑ってた。
今は、いじめを克服して
いじめられなくなったけれど
いじめられなくなるまでに
たくさんのことがあったんだ。
いじめられないために、
他の子をいじめたこともある。
自分がされて嫌だったことを
何回もほかの子にしちゃった。
最低だよね。
「しね」っていっちゃった。
筆箱を投げちゃった。
誰よりもつらさをわかってあげれるのに
その心を無視していじめちゃった。
「ごめんね」「つらいよね」
って何度も何度も心の中で謝った。
二度と癒えない傷を
負わせてしまったこともある。
絶対に許されることじゃないよね。
でもゆうちゃんも何も
感じなかったわけじゃないんだ。
辛かった。こころが痛かった。
壊れしまうくらいに。
そんなこと考えなければ
きっと幸せだと思うよ。
痛みを知らない人にはなりたくない。
それは『考えない幸せ』
その幸せを
受け入れる気にどうしてもなれないんですよ。
痛みを知らないことって間違ってる。
今の世の中だって、そう。
ゆうちゃんたちが
100円のコーヒーが飲めるのは
南米の貧しい子供たちが
血を流して働いているから
いまだに傷だらけの膿んだ足を引きずって
奴隷みたいに働かされた子供たちは
いつ幸せになれるのか、、
たった100円のコーヒーを飲んで
南米の子供たちにいくらのお金が届くだろう。
生まれた場所で、
その人の一生は決まってしまう。
そんなことを考えない方が
きっと幸せだろうね。
ゆうちゃんが苦手な同い年の子たちみたいに
毎日お酒を飲んで、
ヤンキーみたいな色に髪を染めて
他人の迷惑を感じることもできずに
ぎゃーとかぴーとか騒いでられた方が
幸福度は高いのかもしれない。
ぱーりーぴーぽー、笑
本当に幸福なのかな?
臭いものに鼻をつまんで
醜いものに目をつぶって
自分だけ笑うことは
幸せなのかな?
少し考えるとその疑問に気づいてしまう。
世の中はわかりやすく残酷だと思うから。
ゆうちゃんみたいに、
働くのが苦手な人は究極言ったら
親がいなければ生きてこれなかった。
今も親がいなくなれば
生きていけないかもしれない。
そんなこと考えたって仕方ない。
ゆうちゃんの親はどっちも幸い元気だからね。
わかってる。
でも、そういう思考をシャットダウンして
感じるものは幸せなのかなーって思う。
すごく迷ってる。
今日は仕事の日です。
先週の金曜日に適応障害の症状がでちゃったから
働くのめちゃくちゃ不安だけどがんばりますね。
それと11月に開こうと思ってる
交流会ですが、できれば
IRVING PLACE : SHOP | heads official web siteより
ゆうちゃんの知り合いの精神科の先生か
カウンセラーの先生を呼べれば、と
おもってます。
その場で専門家の人に聞ければ
解決策も見つけやすいと思うし^^
以上です👏
読んでくださりありがとうございます^^
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もらえると嬉しいです!
ゆうちゃん。