適応障害の元いじめられっ子がブログを使って社会不適合を脱するブログ

精神障害の自分が感じたことを、言の葉に乗せてつづります。

「死にたい」っていう人の気持ちを書いてみた

うたです。

ネットでもリアルでもこんな発言よく聞きます。

 

 

死にたいとか言ってる

やつまじ死ねばいいのにww

 

 

みたいな発言を耳にすると

 

「死にたい」って人に相談する心理って

理解されずらい部分なんだけど

わかってもらえないとつらいなぁーと

おもいます。

 

なんでかなー。

まったく息苦しい世の中。

 

 

 

ので今日は死にたいという人の

心理について書いていきたいと思います。

 

 

 

死にたいなら死ねばいいじゃんていうのは

僕からしたら

「そんなんわかってるよ!」

「おまえが死ね!」って

感じなんですよね。。笑

 

 

そんなこと百も承知で

「死にたい」っていってるんですよ。

 

 

なんでこんなに理解されないのかなって

思うんですけど、

「生きる」ってことの認識

が違うのかなぁと、、、

 

 

まぁ、なんというか

 

 

生きるって義務みたいなもんなんですよ。

 

 

学校に行かなきゃとか、働かなきゃ

とかと同じようなやらないと

いけないことみたいになってるんです。

 

 

学校に行かない人は不登校

会社を休めば、ずる休み

死にたいといえば、メンヘラ

自殺したら、きちってる

 

といわれる世の中。

 

 

 

僕らにとって、「死にたいって」思うことは

正常じゃないってことなんです。

 

 

自分が不良品だと認めることで、

これがめちゃくちゃつらいことなんですね。

 

 

もちろん、大変なのは自分だけじゃないって

わかってるんですよ。

 

 

人生っていうのは

すごい重くて持つのが大変。

 

 

そんでもって

自分以外に頑張って生きてる人が

いるってわかってる。

 

 

他の人がその重荷を頑張って運んでいるのに

自分だけ下ろすなんて申し訳ない。

 

 

でもつらくてたまらないって感じで

葛藤しまくってるんです。

 

 

僕らにとって人生は義務と

変わらないと思ってるということを知ってほしい。

 

 

 

 

 

 

ハロ/ハワユって歌があるんですが、

その中で印象的な歌詞があって

死にたいっていう人の心理をよく表してるとおもう。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

人生にタイムカードがあるなら 

終わりの時間は何時なんだろう 


私が生きた分の給料は

誰が払うんですか

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

タイムカード、給料

っていう表現からわかるけど

僕らにとって生きるってこと自体が

義務的なものに思えて

 

 

「死ねばいいじゃん」と言われても

「できることならやってるよ!」

って感じです。

 

 

 

登校にたとえると

「学校行きたくないなぁ」っていったときに

 

 

「そんなに行きたくない

ならいかなきゃいいじゃんw」

 

 

って言われるのとおんなじくらいに

「できることならやってるよ!」と

思ってる。これ結構つらいんです。

 

 

僕も昔、学校に行けなかったけど

学校に行けなかった日も、

「ほんとは学校に行きたい」と思っていたんです。

 

 

明日は学校行けるかな、、って思いながら眠るんですよ。

 

 

だから、不登校のときに

「学校嫌ならやめればいい」とか

言われたら泣きそうになるんです。

 

 

「行きたいよ?(笑)」って感じ

 

 

死にたいという人は

それと似てるんじゃないかな?

 

 

 

 

 

も死にたいっていう人が

本当に死なないのは

 

『自分にも生きる意味があるなら

生きたい』と思うからじゃないかな?

 

 

死にたいって人にいうとき

僕は生きる理由を探してたって思うんですよね。

 

 

人に相談するのも

ネットで死に方について調べるのも

生きる理由が欲しいから

 

 

誰かに必要とされたい。

何かの意味を見出したい。

そんな風におもって生きてるんです。

 

 

だから人にも相談するんだって思うんですよね。

真面目な説教とか

変ななぐさめが欲しいんじゃないって思うんです。

 

 

生きる理由が欲しいだけ。

 

 

だから、相談された人は

「死にたいなら死ねばいい」

とか言わないでほしい。

 


僕がいじめを受けていた時

人に相談して良くなったことは一回もない。

 

 

親も友達も、「いじめが嫌ならやり返せ」

「嫌なら学校をやめろ」としか言わなかった。

 

 

そんなことよりもね、今思えば

「あなたがいることで幸せ」とか

そういうことを言われたかったんじゃないかな

っておもいます。

 

 

親がかけてくれる

現実的ないじめ克服のアドバイスより

学校帰りによる、たこ焼き屋さんの店員が

自分にも笑顔をくれるのが嬉しかったです。

なんか認められてる気がして

 

 

「あなたはここにいてもいいよ」

言われることが何よりも安心になる。

 

 

 

 

 

ながーい文章をつらつら書いてきましたが

まぁ何が言いたかったかというと

 

「死にたいという人は生きること

自体が義務になっているということ」

 

でも

 

「生きる理由が見つかったら

いいなと思いながら生きている」

ということ。

 

 

 

 

 

この記事をよんで

「死にたい」って言っちゃう人の気持ちが

少しでも理解されたらいいなぁ~

と思います。

 

色々な人の意見が聞きたいので

良かったらシェアお願いします👐

 

 

 

読んでいただきありがとうございました^^

 

 

ゆうちゃん。